待ってました華の金曜日!職場のメンバー(男だけ)で、飲み会からのカラオケコース!!今日はとことんいってしまおう!!!
このテンションを飲み会まで維持できたことはあっただろうか?むしろ楽しみなのは誘われたその瞬間だけのような気がする。
自分は友達がほとんどいないため、飲みや遊びに誘われる機会がとても少ない。金、土曜日くらいは翌日のことを気にせず楽しみたいと常日頃考えているが、なかなか思い通りの週末を迎えることができない。
そのため、数少ないお誘いの連絡があると、ついつい舞い上がってしまう。
しかしそんな喜びも束の間。たいていの場合、約束の日が近づくほど憂鬱になってしまう。約束当日なんていつもバックれたい衝動に駆られている。
この衝動は、20代後半から年々増えているような気がする。30代に入ってからは特にひどい。
あれほど渇望していた金曜日の予定なのに、これほど気持ちが乗らないのはなぜだろう。女子がいないからか? いや違う。仮に女子がいてもきっとこの感覚は変わらないだろう(多分…)
無い知恵を絞って出した結論は、おそらく「飲み会に参加することによって自己肯定感が下がることが増えたから」だろう。
年を取ることで、これまで楽しいと感じていたことが楽しめなくなった側面もあるだろうが、どちらかと言うと、これまで見ないようにしてきた同世代との格差を目の当たりにする機会が増えてきたことに原因があるような気がする。
20代前半まで、仕事面においては社内、社外を問わず、他人との差を大きく感じることが少なかった。おそらく、大半のサラリーマンが丁稚奉公みたいなものだったからだろう。プライベートも同様、大きくライフステージを変えた人間は自分の身の回りではほとんどいなかった。
中には公私ともに早いうちから頭角を現す者もいたが、「あいつは特別」という少数派のレッテルを張ることで、自身の現状を肯定はせずとも黙認することができた。
ところが20代中盤から、今まで見て見ぬふりをしてきた違和感が否が応でも目につくようになってしまった。細かいものを挙げればきりがないが、自分の場合、それら違和感の正体は主に「皆が持っている共通言語(認識)を自分だけ持ち合わせていないことに対する焦りと不安」に集約される。
思えばここ最近、能力・経験値において、他者との差を感じることや、そもそも会話についていけない状況が明らかに増えた気がする。特に複数人で会話をしているときは、自分だけ別の言語を介しているような錯覚に陥り、置いてけぼりになる。
会話を通じて、成功や失敗の経験値が他者と比べて圧倒的に少ないことを実感し、いかに自分が人生において打席に立ってこなかったかを思い知らされる。(程度の低い失敗はたくさんしてきたが…)
他人の成功談を聞いては焦り、失敗談を聞いてもさらに焦る。我ながら面倒くさい性格をしている。
さらに、打席に立つ機会が少ないと、相手の話を真の意味で理解することができず、ましてや共感などより一層難解だ。相手がどれだけ丁寧に話をしてくれても、理解が出来ず、相手も共感を得られないため、お互いルーズルーズ(使い方合ってる?)な時間となってしまう。
そんな時間を過ごしてしまうと、帰宅途中の電車の中で脳内大反省会が開かれ、不安の種が一気に心にまかれる。
「自分だけが何も成長していないのではないか」「取り残されている?」「これから先もどんどん差が広がってしまうのでは?」「この調子で自分はこの先も生きていけるのだろうか」「俺なんて…」
まかれた種は翌日大きな自己嫌悪という芽になって、二日酔いの吐き気とともに押し寄せる。
飲み会が嫌いになっていくわけだ。行けば行くほど自分のダメさを再認識する。
能力が低いくせに、この年まで深く考えずにのうのうと生きてきたツケが今になって返ってきているのではないか…
これまでの人生、なぜ物事をもっと深く考えてこなかったのだろう…
このままではいけないことはわかっているがきっともう遅い。どうせ今からでは追いつけない…
そもそもこんな悩みを抱えているのは自分だけではないのだろうか…
さてと、
終わりの見えない自己否定はこのくらいにして、これからどうするかを考えてみる。
まずはこのネガティブな思考のクセから脱しないといけない。
冷静になって考えてみると、今起こっている事象は「飲み会が楽しめなくなった」ただそれだけのこと。
よくもまあ派生に派生を重ねてこれだけのことをうじうじと考えられるものだと我ながら感心する。
どうやら自分は、勝手にストーリーを作り上げて、同じことをぐるぐる考える負のスパイラルに陥るのが非常にお得意らしい。
もちろん焦りや不安を感じていることは事実だし、その不安を払拭できるくらい、能力や人間性を高められたら理想的だが、それができたら今頃こんなに悩んではいない。
「どうせ自分のような凡人は、できることをできる範囲で地道に続けていくことしかできない」
これを自覚し、すぐにこじらせる思考のクセを治す方向に努力する方が、「どうせ俺なんて…」からの脱出に近づける気がする。できないことにいつまでも囚われているよりははるかに健全だ。
とりあえずこの週末はこないだの飲み会を通して、自分の中にある焦りや不安に気付き、モヤモヤを言語化できただけでも良しとしよう。
雑に書き殴ってしまったうえ、なんだか中途半端な終わり方だが、今日は問題提起までとしておく。続きはまたそのうち書こう。
今日はとても疲れた。おやすみなさい。
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